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【2024/11/28 07:37 】 |
踊り501
活動休止 [編集]

この節は現在進行中の事象を扱っています。記事の内容は最新の情報を反映していない可能性があります。
2010年8月9日、同日付の自身のブログで年内をもってアーティスト活動を無期限休止することを発表した。「来年から、しばらくの間は派手な『アーティスト活動』を止めて、『人間活動』に専念しようと思います」と宣言し、「2年になるか、5年になるか、わからないけど、一回り大きくなって帰ってくるから。少し時間をください」とファンに呼びかけ、同年秋には新曲も含めたシングルコレクションを発売することを明らかにした[17]。
活動休止を前に、EMIミュージック・ジャパンより新曲5曲を含む『Utada Hikaru SINGLE COLLECTION VOL.2』が、ユニバーサルミュージックよりUtada名義の『Utada The Best』の2種類のベスト盤が発売される。このうちユニバーサル盤のUtada The Bestについては、本人の意思と無関係にリリースされたとして宇多田自身がブログとツイッターで遺憾の意を表している[18]。なお、宇多田が遺憾の意を示しているUtada The Bestには顔のアップ写真が使われている。片や、宇多田が心のこもった作品と言っているUtada Hikaru SINGLE COLLECTION VOL.2のジャケットは宇宙の絵が使われている。(見た目は星空のようである)
人物・プロフィール [編集]

公式身長158cm、体重43kg。血液型A型。
清泉インターナショナルスクールに通っていたが、活動を始めた途端に退学となり、アメリカンスクール・イン・ジャパン(ASIJ)に転校した。ASIJでは成績優秀で、1年飛び級して、コロンビア大学に進学するが、まもなく中退。
名前 [編集]
本名は宇多田光だが、デビューする際に、周りから名前が堅い感じがするといわれ、本名と画数の変わらない「宇多田ヒカル」とした。画数については、姓名判断で度々彼女の名前は非常に素晴らしい画数である、と評価されている。それを本人が知っての決定となった[19]。中性的な名前のため、子供の頃はよく男の子に間違えられたという。また、「光」という名を考えたのは、父の宇多田照實だが、一方母である藤圭子は、彼女を「宇多田苺」と名づけたかったようで、そのことについて、アメリカの日本料理店にて父親と口論になったが、その店の壁に「光」と書道で文字が書かれていたのを発見したことで、話が決着した、というエピソードがある。とはいえ、どちらにせよ「苺」という文字は、当時は人名漢字として認められていなかった。また、名字の「宇多田」は、日本でも非常に珍しく、山口県などに数件ある程度である。また、家系について、宇多田の父の宇多田照實が子供の頃、長い巻物に描かれた家系図を見せられ、由緒ある家系であることを伝えられた、というエピソードがある。戦前の元首相・寺内正毅は遠戚にあたる。また、彼女の祖母は、瞽女(ごぜ)[20]であった。
趣味・嗜好 [編集]
作品を創作する上で一番の影響が伺えるのが、小説をはじめとした古今東西の文学である。元々、幼い頃からの読書家であったらしく、ブログでも度々小説や随筆の紹介をしている。公式プロフィールでは、多くの小説家や作家の名が好きなものとして公表されている。アルバム『DEEP RIVER』は、遠藤周作の『深い河』からインスパイアされたとしており、楽曲「テイク5」に関しては「宮沢賢治を意識して創った」とも述べている。また、英語圏アルバム『EXODUS』収録の「Kremlin Dusk」には、エドガー・アラン・ポーの詩『大鴉』が歌詞に登場している。「traveling」の平家物語からの引用、「Be My Last」での三島由紀夫原作映画『春の雪』主題歌提供、聖書の出エジプト記が色濃く表れた「Exodus '04」など、例を挙げればきりがないが、彼女の楽曲と文学は、切り離せないものになっている。夢は、部屋の全ての壁を本棚にすることだという。
ゲーマー・アニメ好きで知られており、タイアップをよく行っている。気に入った作品には、PVを観たその場で快諾することもある。特に、テトリスに関しては驚異的な腕前を持つ、筋金入りのテトリスマニア。本人曰く「5歳の頃から毎日プレイしている」ためか、以前『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』でダウンタウンの松本人志と対戦した際には、松本から「いや~、まさかあそこで○が落ちてくるとはね…。」と言わしめるほどに完勝し、ニンテンドーDS版では、いわゆるカンスト[21]を達成している[22]。2006年8月、任天堂が主催したイベント「宇多田ヒカルとテトリス対決!!」に参加。抽選で選ばれた一般者とテトリス対決を行い、26勝4敗という好成績を残した。さらに、テトリス開発者2名とも対決を行い、1勝1敗と善戦した[23]。また、「テトリスはスポーツ」と発言している[24]。テトリスのような幾何学的ゲームに惹かれるのは、RPGなどの対話型ゲームが嫌いだからだそう。理由は、「人と喋りたくないからゲームをしているのに、なんでゲームの中で人と喋らなければならないのか不思議」と思うからだという。そのため、タイアップした「KINGDOM HEARTS」シリーズもプレイしていないと、秘密を明かした[25]。
交友関係 [編集]
B'zの稲葉浩志とは、家族ぐるみの付き合いであるという。他に、今井絵理子[26]、及川光博[27]、唐沢寿明[28]、深田恭子[29]とも親しい。
Mikaと交友関係があり、彼の日本滞在時にAKB48の公演に2人で訪れた[30]。宇多田を主なモノマネのレパートリーとするミラクルひかるとも交流を持つ。
音楽性 [編集]

ほぼ全ての曲で作詞、作曲を手がけ、多くの曲で編曲も自ら行う。アルバム『ULTRA BLUE』以降はプログラミングも自ら行っている。
早熟な音楽家の近年代表例である彼女だが、雑誌のインタビューで絶対音感を持っていることを否定しており、「音がみんなドレミで聴こえるなんていただけない」といった趣旨の言葉をつづけている。
初期のころはR&B調の曲が多かったが、最近はポップ、バラードなどとジャンルが幅広くなっている。これは、本人曰く1つのジャンルにとらわれたくないからだという[31]。2004年の海外進出後、しばらく浮遊感のある暗い曲が多かったが、2007年の『Flavor Of Life』でポップな作風に戻っている[7]。情報誌『日経エンタテインメント!』で、音楽関連の記事を手がける海老名邦明は『HEART STATION』の紹介記事で「デビュー当時と比べるとやはり成長している。その契機となったのは、作詞・作曲に加えて編曲もすべて1人で行うようになった04年からだろう。」と評している[32]。デビュー当初から宇多田を担当している三宅彰は、宇多田のデビュー10周年の際に受けたインタビューで宇多田の変化についてコメントしている。デビューアルバム『First Love』から『ULTRA BLUE』までのアルバム4枚は誰に向けて書いたのか具体的に見える曲が多かったが、『HEART STATION』は顔の見えない不特定多数に向いていると述べている。三宅はこれを「10代は内面に向かいがちだったのが、20代半ばになり社会と自分というものを結びつけることができるようになったのかなと思う」と評している。続けて三宅は宇多田がデビュー当初から変わっていないところに、「声」を挙げている。曰く「音楽的な趣味も変わっているし、精神的にも大人になったし、見える景色も変わったでしょう。でも声の魅力と本質的な性格はあまり変わっていない」[33]。宇多田ヒカルは実際に歌っている、息継ぎ、歌の間のハミングなどからハッキリと確認出来る。
影響 [編集]
フレディ・マーキュリーを尊敬している。自身のサイトにおいて、好きなアーティストにナイン・インチ・ネイルズ、モーツァルト、ジミ・ヘンドリックス、バルトーク・ベーラ、レニー・クラヴィッツ、プリンス、エディット・ピアフ、コクトー・ツインズ、チック・コリア、ザ・ブルー・ナイル、ビョーク、TM NETWORK、尾崎豊、美空ひばりを挙げている。また、歌唱の面では元グルーヴ・セオリーのアメール・ラリューに強く影響を受けており、(自分の中で)師匠であると発言した[34]。
使用機材 [編集]
エレキギターはテレビ出演時等、ギブソン・レスポール・スタジオの黒を使っているのが確認出来る。『Be My Last』はエレキギターで唄いながら創ったとも。作曲に使うのはマッキントッシュで、使用ソフトはLogicとの発言あり。スタジオのエンジニアリングではPro Toolsを、昨今では活用しているらしい。キーボードであるがマッキントッシュ(主にノート型(恐らくMacBook))につなぐのは単なるMIDIキーボード(PC-300)で、シンセサイザーとしてはKORGのTRITONを使っているという。最初のMIDIキーボードは、「Prisoner Of Love」のジャケット撮影時に偶然にも壊れた。それは5年間愛用したもので、チェコで仕事があった際も持っていったものである。TRITONは現在ニューヨークの自宅のトイレに置いてあるという。壊れても捨てられないほどの愛着がある機材は最終的にトイレに行き着く[35]。
主な記録 [編集]

日本の歴代ミリオンセールスアルバムランキングTOP10では1位、4位、8位に彼女の作品が入っており[36]、宇多田ヒカル名義でのアルバムはすべて、日本レコード協会から、ミリオンの認定を得ている。現在、アルバムを3作連続で300万枚以上売り上げた日本のミュージシャンは彼女のみで[7]、“日本で最もアルバムを売ったアーティスト”としてギネスブックに紹介されている[37]。
オリコンの「10代のシンガーソングライターによる1stアルバムから3作連続で初登場トップ5入り」の記録を持つ2人のうちの1人である(もう1人は加藤ミリヤ)[38]。シンガーソングライターのベスト盤のミリオン獲得の最年少記録(21歳3か月)を持っている。
オリコン年間好きなアーティストランキングでは、2004年、2007年、2008年度で3度の1位を獲得している。また、HMVの「Top 100 Japanese pops Artists」(2003年)で24位[39]、「日本のシンガーTOP30」(2005年)に10位[40]。
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【2010/11/07 16:19 】 | 未選択 | 有り難いご意見(0) | トラックバック()
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